トラウマと依存症には密接な関係がある。
トラウマを受けた人は何かしらの依存症を抱えている場合が多い。
逆に言うと何かに依存しないと生きていくことが困難なのかもしれない。
なぜトラウマを抱えている人は依存症になりやすいのだろうか?
今回、トラウマと依存症について自分の体験も含め検討してみた。
トラウマの本質を知れば理由が見えてくる。
トラウマを受けた人がどのような道筋をたどるのかを見てみよう。
まず、何らかの強烈なストレス状態にさらされたとき人は戦うか、逃げるかの選択を迫られる。
これを闘争、逃走反応という。
しかし、戦うことも逃げることもできなかった場合、人はシャットダウンし、凍りつき、感覚を麻痺させその場をやり過ごそうとする。
しかし本当は戦うか、逃げるかに使うはずであった強烈なエネルギーが未完了のストレスとして自分の中に保存される。
これがトラウマの本質である。
そしてトラウマ的出来事がもう終わっているにもかかわらず、当事者の中だけは時間が止まっていて、その後さまざまな症状に苦しめられることになる。
具体的な症状としては、突然やってくる過覚醒(フラッシュバック、激しい怒り、恐怖、不安、悲しみなどの否定的感情)や慢性的な低覚醒(無感覚や無感情などの解離、シャットダウン、不動、凍りつき)である。
トラウマを受けた人はこのような過覚醒や低覚醒を行ったり来たりすることに悩まされるのである。
そしてトラウマ患者は過覚醒や低覚醒の感情を感じることをひどく恐れている。
不快な感情に圧倒されると自分が自分ではなくなってしまうような感覚、自分ではない誰か他の人になってしまうような感覚になる。
依存することで不快な感情を追いやることができる。
トラウマを受けた人はほとんどの場合、過覚醒になり過剰反応するか、底覚醒になりシャットダウンするかのどちらかだ。
そしてこのような過覚醒症状やシャットダウン状態を恐れ避けようとする。
過覚醒状態の時は感覚を麻痺させ感情を感じなくさせ、低覚醒状態の時は自分の感覚を取り戻すための行動に出る。
そのためには強烈な刺激が必要であり、その刺激に依存するようになる。
具体的に言うと、ドラッグ、アルコール、過食、セックス、ギャンブルなど様々であるが、どれも過激な刺激が得られる。
その刺激によって過覚醒が落ち着いたり、低覚醒から自分を取り戻したりでき、不快な感情を感じずに済むかもしれない。
しかし、それは一時的なもので、またすぐに不快な感情が襲ってくる。
その不快な感情を感じるのを恐がり、さらに強い刺激を求めどんどん依存が強くなっていく。
この負のスパイラルがトラウマを受けた人が依存症に陥るメカニズムではないだろうか。
確かに一時的な快楽が得られ、不快な感情を遠くに追いやることができるかもしれない。
しかし、無理矢理にからだを麻痺させ落ち着かせたり、無理矢理からだを刺激し覚醒させる行為はどれも心を抑圧しコントロールする方法である。
抑圧された感情は借金のようにふくれあがり、後に必ず返済しなければいけない。
その代償は大きく、依存症の末路が破滅的なものになることはみなさんもよくご存じだろう。
この負のスパイラルをどこかで止めなければ取り返しの付かないことになる。
私自身の依存症の話
私自身もトラウマを受けた身として依存症には苦しんできた。
そして当事者として依存から抜けられない気持ちも十分理解できる。
私は様々なもの依存していたが、主にたばこ、ギャンブル(パチンコ、スロット)、不適切な女性関係である。
これはどれも私にとって自分の内面にある恐ろしく、不快な感情と向き合わないようにしてくれるツールであった。
たばこは内面から湧き出る恐怖や不安な感情を一瞬和らげてくれる。
不快な感情が表れるとたばこを吸わずにはいられなかった。
感情に圧倒されるのが恐くて吸ってはいけない場所(トイレなど)でも喫煙し、仕事中も隠れて吸ったりもしていた。
ギャンブルは低覚醒状態(不動、解離)から復活するための重要なツールであった。
私はよく日常的に低覚醒に陥り、頭がシャットダウンし、自分の感覚は麻痺し、生きているか死んでいるかわからないような状態になることが多かった。
この低覚醒状態から自分の感覚を取り戻すためにギャンブル(主にパチンコ)にのめり込み無理矢理に感情を興奮させ目覚めさせたのである。
パチンコは何も考えなくて良いので低覚醒のぼーっとした頭の状態の時にできる唯一の行動だったように思える。
ギャンブルへの依存度はかなり高く、パチンコの強烈な刺激なしには覚醒できなくなっていた。
しかし、無理矢理に感情を呼び起こしても、からだはまだシャットダウンし麻痺していた。
この心と身体の分離状態が後の代償として強烈な疲労感と倦怠感として自分を襲い、より重い低覚醒状態へと自分を引きずり込むのであった。
そしてこの重度な低覚醒から抜け出すためにより強い刺激を求めるようになり(よりハイリスクなギャンブル)依存度を高めていった。
最後は不適切な女性関係である。
これは純粋な恋愛とはほど遠い、身体の関係だけを求める危険な関係を意味する。
私にとって性的刺激は自分の感覚を取り戻すためのツールであった。
関係を持っている最中は行為に没頭でき、自分の中にあふれ出る不快な感情を忘れさせてくれる。
恐怖や怒り不安などを感じず、快楽のみを感じられるのだ。
この一瞬の快楽がからだに染みつき、不適切な関係を求め続ける依存へと導くことになった。
これらが私の依存症の歴史である。
これらの依存はどれも一時的に自分の内面にある不快な感情に向き合わなくて済むためのものであり、トラウマを一瞬忘れさせてくれる。
トラウマを受ける前の自分に戻ったかのような、生き生きした感覚の錯覚に陥る。
しかし先ほども述べたように依存は破滅の道をたどることは間違いのない事実だ。
たばこはより刺激が強いドラッグへと変って、その人の人生を終わらせるかもしれない。
ギャンブルは無限にお金を奪い続ける。
借金や盗みなどの犯罪に手を染め、大切な人からの信頼を失い、一生お金に振り回される人生を歩まなければいけないかもしれない。
不適切な関係を求め続けることで病気のリスクも高まり、犯罪などに巻き込まれる可能性も高まる。
異性との適切な信頼関係を結ぶこともできない。
このようなダークサイドに落ちる前に何かしらの対策を打たなければいけない。
依存症克服への道
今現在、依存症に苦しみ、止めたくても止められず途方に暮れている方も多いのではないだろうか。
そんな方に伝えたいことがしっかりとした対策をとれば必ず依存症は克服できると言うこと。
私自身、現在すべての依存を克服している。
何かに依存しなくても自分自身をコントロールできるようになったのである。
そのためにはまず自分の内面としっかり向き合うことから始めなければいけない。
詳しくは他の記事を参考にしてもらいたいが、無意識で生きていると私たちは感情の奴隷となってしまう。
意識的に自分の内面にある不快な感情と向き合い、対処していかなければならない。
自分の内面に向き合うことは自分のトラウマに向き合うと言うことだ。
根本原因のトラウマを克服しなければ、依存症の治療も難しいかもしれない。
私はトラウマと向き合い、トラウマを治療する課程で依存症も克服できた。
克服には長期戦の覚悟が必要だし、焦りは絶対禁物である。
じっくり、ゆっくり取り組めば必ず光が見えてくる。
また依存症は周りに理解してくれる人がいると非常にありがたい。
誰でも依存症になるリスクがある。
今回はトラウマと依存症の関係について限局して考えてみたが、依存症になるのは何もトラウマを受けた人だけではない。
トラウマを受けた人が依存症になりやすいのは確かだが、うつ病などの他の精神疾患を持っている方も様々な症状に向き合うことを避けるために依存症になることが多いだろう。
精神疾患がなくても現代人は心に何かしらの欠乏感を抱えている場合が多い。
普段は心の奥底にしまっているつもりでも、ふとしたきっかけで欠乏感が刺激され、不快な感情に襲われる。
その欠乏感を遠くに追いやるため、また不快な感情と向き合うことを避けるために刺激の強い何かに依存してしまう可能性がある。
自分の内面にある心の欠乏感としっかり向き合うことができるか、はたまた自分の見えないところに追いやり無かったことにするかが、依存症になるかならないかの大きな分かれ道のように感じる。
そして依存症になってしまった場合はしっかりと治療をしなければいけない。
私が依存症を治療する上で感じた残念なことは、日本には依存症をしっかり治療できる病院が非常に少ないことだ。
依存症は病気として認められているにもかかわらず、それを治療する場所がないため、依存症患者は途方に暮れてしまうかもしれない。
ある程度自発的に情報収集をしないといけないし、自分にあった治療法を自分で探さないといけないかもしれない。
私も何かしらの役に立てるようこれからも情報発信してきたい。