トラウマと依存症には密接な関係があります。
過去にトラウマを経験した人は、何かしらの依存症を抱えている場合が多いのです。
言い換えると、何かに依存しないと生きていくことが困難なのかもしれません。
特に虐待やいじめ、性犯罪など完全に打ちのめされた経験がトラウマになっている人は依存症になりやすいと言われています。
なぜトラウマを抱えている人は依存症になりやすいのでしょうか?
今回、トラウマと依存症について自分の体験も含め検討してみました。
1、トラウマが身体に与える影響
まず、トラウマを経験した人がどのような道筋をたどるのかを見てみましょう。
トラウマ体験という強烈なストレス状態にさらされたとき、人は戦うか、逃げるかの選択を迫られます。
これを闘争、逃走反応といいます。
しかし、トラウマというのは戦うことや逃げることができなかった体験のことです。
戦うことも逃げることもできなかった場合、人は最終手段としてシャットダウンし、凍りつき、感覚を麻痺させその場をやり過ごそうとします。
本当は戦うか、逃げるかに使うはずであった強烈なエネルギーが未完了のストレスとして自分の中に保存され、トラウマとして身体に記憶されるのです。
そして、トラウマ的出来事がもう終わっているにもかかわらず、当事者の中だけは時間が止まっていて、その後さまざまな症状に苦しめられることになります。
具体的な症状としては、突然やってくる過覚醒(フラッシュバック、激しい怒り、恐怖、不安、悲しみなどの否定的感情)や慢性的な低覚醒(無感覚や無感情などの解離、シャットダウン、不動、凍りつき)です。
トラウマを受けた人はこのような過覚醒や低覚醒を行ったり来たりすることに悩まされるのです。
そして、トラウマ患者は過覚醒や低覚醒の感情を感じることをひどく恐れています。
不快な感情に圧倒されると、自分が自分ではなくなってしまうような感覚、自分ではない誰か他の人になってしまうような感覚になるのです。
2、依存とトラウマの関係
トラウマを受けた人がトリガーとなる出来事に遭遇すると、過覚醒になり過剰反応するか、底覚醒になりシャットダウンするかのどちらかになる場合が多いです。
そして、このような過覚醒症状やシャットダウン状態を恐れ避けようとします。
つまり、過覚醒状態の時は感覚を麻痺させ感情を感じないように、低覚醒状態の時は自分の感覚を取り戻すための行動に出るのです。
そのためには強烈な刺激が必要であり、その刺激に依存するようになります。
具体的に言うと、ドラッグ、アルコール、過食、セックス、ギャンブルなど刺激が得られるものなら何でも依存になる可能性があります。
その刺激によって、過覚醒状態が落ち着いたり、低覚醒状態から自分を取り戻したりできるので、不快な感情を感じずに済むかもしれません。
しかし、それは一時的なもので、またすぐに不快な感情が襲ってきます。
その不快な感情を感じるのを恐がり、さらに強い刺激を求め、どんどん依存が強くなっていくのです。
この負のスパイラルがトラウマを受けた人が依存症に陥るメカニズムではないでしょうか。
何かに依存することで一時的な快楽が得られ、不快な感情を遠くに追いやることができるかもしれません。
しかし、無理矢理に身体を麻痺させ落ち着かせたり、無理矢理に身体を刺激し覚醒させる行為はどれも感情を抑圧し、自分をコントロールする方法です。
抑圧された感情は借金のようにふくれあがり、後で必ず返済しなければいけません。
その代償は大きく、依存症の末路が破滅的なものになることはよく知られています。
この負のスパイラルをどこかで止めなければ取り返しの付かないことになるのです。
3、私自身の依存症の話
私自身も依存症には苦しめられてきました。
幼少期の虐待やいじめといったトラウマによる不快な感情から逃げるために、深い沼にはまり、抜け出せなくなったのです。
私は様々なことに依存してきましたが、その中心はたばこ、ギャンブル(パチンコ、スロット)、不適切な女性関係でした。
これはどれも自分の内面にある不快で恐ろしい感情と向き合わないようにしてくれるツールだったのです。
たばこ
たばこは内面から湧き出る恐怖や不安な感情を一瞬和らげてくれました。
不快な感情が表れるとたばこを吸わずにはいられなかったことを覚えています。
感情に圧倒されるのが恐くて吸ってはいけない場所でも喫煙し、仕事中も隠れて吸ったりもしていました。
ギャンブル
ギャンブルは低覚醒状態(不動、解離)から復活するための重要なツールでした。
私はよく日常的に低覚醒に陥り、頭がシャットダウンし働かず、感覚も麻痺してしまい、生きているか死んでいるかわからないような状態になることが多かったです。
この低覚醒状態から自分の感覚を取り戻すためにギャンブル(主にパチンコ)にのめり込み無理矢理に感情を興奮させ目覚めさせたのです。
パチンコは何も考えなくて良いので、低覚醒のぼーっとした頭の状態の時にできる唯一の行動だったように思えます。
ギャンブルへの依存度はかなり高く、パチンコの強烈な刺激なしには覚醒できなくなっていたくらいです。
しかし、一時的な興奮により無理やり覚醒した代償として、強烈な疲労感と倦怠感が自分を襲い、より重い低覚醒状態へと引きずり込まれてしまいました。
そして、この重度な低覚醒から抜け出すためによりハイリスクな強い刺激を求めるようになっていったのです。
不適切な女性関係
最後は不適切な異性との関係です。
これは純粋な恋愛とはほど遠い、身体の関係だけを求める危険な関係を意味します。
私にとって性的刺激は失われた自分の感覚を取り戻すためのツールとなっていました。
関係を持っている最中は行為に没頭でき、自分の中からあふれ出る不快な感情を忘れさせてくれるのです。
恐怖や怒り、不安などを感じることなく、快楽のみを感じられる体験は他にはありません。
この一瞬の快楽が身体に染みつき、不適切な関係を求め続けるという依存にのめり込んでいきました。
これらが私の依存症の歴史です
依存との戦い
これらの依存はどれも一時的に自分の内面にある不快な感情に向き合わなくて済むためのもので、トラウマを一瞬忘れさせてくれるのです。
生き生きとした感覚がよみがえり、トラウマを受ける前の自分に戻ったかのような錯覚に陥ります。
しかし、先ほども述べたように依存は人生を破滅に追いやることは間違いのない事実です。
たばこは、より刺激が強いドラッグへと変って、その人の人生を終わらせるかもしれません。
ギャンブルは無限にお金を奪い続けます。
借金や盗みなどの犯罪に手を染め、大切な人からの信頼を失い、一生お金に振り回される人生を歩まなければいけないかもしれません。
女性との不適切な関係を求め続けることで病気のリスクが高まり、犯罪などに巻き込まれる可能性も高まります。
異性との適切な信頼関係を結ぶこともできないでしょう。
このようなダークサイドに落ちる前に何かしらの対策を打たなければいけません。
4、依存症克服への道
今現在、依存症に苦しみ、止めたくても止められず途方に暮れている方も多いのではないでしょうか。
そんな方に伝えたいことが、しっかりとした対策をとれば必ず依存症は克服できると言うことです。
私自身、現在すべての依存を克服しているます。
何かに依存しなくても自分自身をコントロールできるようになったのです。
そのためにはまず、自分の内面としっかり向き合うことから始めなければいけません。
無意識で生きていると私たちは感情の奴隷となってしまいます。
意識的に自分の内面にある不快な感情と向き合い、対処していかなければいけません。
自分の内面に向き合うことは、自分のトラウマに向き合うと言うことです。
根本原因のトラウマを克服しなければ、依存症の治療も難しいかもしれません。
私はトラウマと向き合い、トラウマを治療する課程で依存症も克服することができました。
私がトラウマを克服した方法はこちらの記事を参考にしてください。
依存症を焦って短期で克服すると、より深い依存の波に飲み込まれてしまいます。
長期戦を覚悟して、じっくり、ゆっくり取り組めば必ず光が見えてきます。
また依存症は周りに理解してくれる人がいるかどうかが重要なポイントです。
安心できる環境で、安心できる人と正しい治療を行うことが、依存症克服の最短ルートになります。
5、誰でも依存症になるリスクがある
今回はトラウマと依存症の関係について考えてみましたが、依存症になるのはトラウマを受けた人だけではありません。
トラウマを受けた人が依存症になりやすいのは確かですが、うつ病などの他の精神疾患を持っている方も、様々な症状に向き合うことを避けるために依存症になることが多いのです。
また、精神疾患がなくても現代人は心に何かしらの欠乏感を抱えている場合が多いです。
普段は欠乏感を心の奥底にしまっているつもりでも、ふとしたきっかけで欠乏感が刺激され、不快な感情に襲われることがあります。
その欠乏感を遠くに追いやるため、また不快な感情と向き合うことを避けるために何か刺激の強ものに依存してしまう可能性があります。
自分の内面にある心の欠乏感としっかり向き合うことができれば、依存症になる可能性は減るでしょう。
しかし、心の欠乏感を自分の見えないところに追いやり、無かったことにしてしまうと、その代償を後で払わなければいけなくなり、依存へと足を踏み入れてしまいます。
自分の内面に意識を向け、心の葛藤と向き合うことが回復への第一歩です。
6、最後に
私は依存症になったことを後悔していません。
なぜなら、何かに依存することができたからこそ、生き延びてこれたからです。
そして、依存を克服する過程で、自分の内面と向き合い、成長することができました。
依存症になってしまった自分を責めてはいけません。
依存は生きていくためには必要だったと理解しましょう。
それから、依存なしで生きていくために必要なことを考えればいいのです。
依存症を克服するためには正しい治療法が不可欠です。
私も何かしらの役に立てるようこれからも情報発信してきたいと考えています。