虐待やいじめ、ネグレクトなどを受けた人がその後どのような道を歩むか知っていますか?
幼少期のトラウマや愛情の不足は私たちが大人になってから、身体の様々な不調として表面化します。
近年、この身体的、精神的不調のことをまとめて発達性トラウマ障害と言うようになりました。
子供の頃のトラウマや愛情の不足の代償は計り知れません。
発達性トラウマ障害を理解することで、私たち大人は、子供に逆境的体験をさせることを全力で阻止しなければいけないことに気づくはずです。
もし、子供の心を傷つけてしまったら全力でフォローしなければいけません。
そうしなければ、子供の人生に多大なハンディキャップを背負わせることになるからです。
今回は発達性トラウマ障害の原因や症状、克服法について分析していきたいと思います。
参考にした書籍
今回参考にした書籍は、トラウマ治療の第一人者であり発達性トラウマ障害の考案にも携わったベッセル・ヴァン・デア・コーク先生が書いた身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法という本です。
この本にはトラウマのすべてが詰まっていると言っても過言ではありません。
コーク先生のトラウマに対する飽くなき探求心に感動を覚えるとともに、日本のトラウマ治療の遅れを痛感しました。
しかし、この本に出会えたことで得られた知識は自分にとっての宝物になっています。
自分がなぜこんなにも生きづらく、苦しいのかを理解することができたのですから。
著者のコーク先生とわかりやすく日本語に翻訳してくださった方にとても感謝しています。
発達性トラウマ障害の原因と症状について
原因~愛情不足により起こる悲劇~
発達性トラウマ障害は幼少期の愛情の不足やトラウマ(虐待、ネグレクト、いじめなど)が原因で起こると言われています。
子供にとっては愛情こそが心の安全基地であり、愛情があるからこそ外の世界へ安心して飛び出していけるのです。
心に安全基地を持っていると自立心や他人に対する思いやりの感情を育むことができます。
安定した愛情は、一生を通して他人や新しい環境と繋がるための重要な要素になるのです。
しかし、虐待やネグレクトによって安定した愛情を受けられなかった人は、心に安全基地を持つことが出来ないため、安心を得ることが出来ず、常に怯え、不安や恐怖の感情に満ちています。
愛情による自己肯定感が育たないため、自分に対しても、他人に対しても批判的で他者と上手く関係を築くことができません。
人間の脳には、子供の頃に安定した愛情を受けることでしか発達しない部分があるといわれています。
怒りや恐怖、不安をコントロールする能力、自分はいったい何者で、今何を感じ、誰を信頼すればいいかを知る能力は、愛情によって育まれるのです。
しかし、虐待やネグレクトによって愛情が足りなかった人は脳の発達を損なってしまいます。
これは人生の取り返しがつかないようなハンディキャップを背負わされるようなものです。
そして、その代償は、様々な辛い症状として容赦なく身体に襲いかかってきます。
症状~虐待やいじめの代償~
幼少期の虐待やいじめのような、長期にわたるトラウマは人間の脳と体の発達に永続的な負の影響を及ぼします。
そして、子供の頃にトラウマを負ってしまった人は、普通の人とは全く違う世界に住むことになるのです。
絶えず危険を感じ、過去が心を苦しめ続けるせいで、今を生きることができません。
世の中全体が、危険の引き金を引くトリガーになってしまっているのです。
普通の人にとっては何でもない状況からも、悲惨な結果しか想像ができないません。
だから、常に不安や恐怖を抱えて生きており、その不安や恐怖を無視しようとしても余計に混乱し、思考停止に陥り、パニックになってしまうのです
また、自分で感じていることを上手く表現できないため、過剰に怒ってしまったり、低覚醒状態になり解離するといった極端な自己表現しかできなくなり、周りからも孤立してしまう確立が高くなります。
このようなことが積み重なり、子供のころに虐待やいじめを経験した人は原因不明の身体症状に苦しめられるようになるのではないでしょうか。
長年のストレスは首や背中の慢性的な痛み、繊維筋痛症、胃腸系症状、慢性疲労や喘息など様々な症状として身体に表れます。
このように多大なハンディキャップを背負わされているのです。
もはや虐待やいじめは、乗り越えるとかそういう次元の問題ではありません。
そして、成長するにつれ、さらに病院で様々な診断を受けるようになるでしょう。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でこのように書かれている。
こうした患者たちは、精神医療を受けている間に、お互い関連のない診断を五つか六つ受けることが普通だ。医師が気分変動に焦点を絞れば双極性障害とみなされ、リチウム(リーマス)かバルプロ酸(デパケン、セレニカ)を処方される。医師が彼らの絶望感にいちばん強い印象を受ければ、大うつ病を患っていると言われて、抗うつ薬を与えられるだろう。医師が落ち着きのなさと注意力の欠陥に注目したら、注意欠陥・多動性障害(ADHD)に分類されて、メチルフェニデート(リタリン)あるいはその他の興奮剤による治療を受けることになるかもしれない。そして、もしクリニックの職員がトラウマ歴を聴取し、患者が関連情報を自ら提供するようなことがあれば、PTSDという診断を受けるかもしれない。これらの診断のどれ一つとして、完全に的外れではないが、どれもみな、これらの患者が何者か、何を患っているかを有意義なかたちで説明する端緒さえつかめていない。
このように過去に逆境的体験をして、トラウマを負っている人には、症状によって様々な病名をつけられることも。
もしくは、ADHDなどの発達障害が疑われるかもしれません。
しかし、これらの診断は問題の根本的原因を全く表してはいないのです。
診断名自体には全く意味はありません。
病名に合わせて薬物治療やカウンセリング療法などが行われますが、これらの治療で問題を解決できた人はどれだけいるでしょうか?
少なくても私の知っている限りでは、深いところまでの回復は望めないと感じています。
薬物療法は恐怖や不安、憂鬱な気分を和らげることはできるかもしれませんが、同時に、嬉しさや喜びなど人間にとって絶対必要な感情も失ってしまう危険性があります。
人生を前向きに生きるエネルギーが枯渇してしまい、生きているか死んでいるか分からないような状態になってしまうのです。
このような状態に閉じ込められている人が非常に多いように思います。
発達性トラウマ障害という新しい診断
私は高校生の時から精神科の病院に通い始め、様々な診断を下されてきました。
うつ病、双極性障害、不安障害、PTSD、注意欠陥・多動性障害(ADHD)など。
そして、治療は薬物療法が中心で体調が悪くなれば薬の量を増やし、少し体調が良くなれば薬の量を減らすということを十年以上繰り返してきたのです。
確かに薬で最悪な状況を脱することはできるかもしれません。
しかし、それ以上の回復は望めませんでした。
人生を、生き生きと自分らしく歩むためにはどうしたらよいのでしょうか?
自分らしさを取り戻すきっかけを教えてくれのが「発達性トラウマ障害」という聞き慣れない診断名でした。
発達性トラウマ障害は幼少期の虐待やいじめ、ネグレクトなどのトラウマ(逆境的体験)を体験した人を治療するためにできた診断名です。
上辺の症状により様々な病名をつけるのではなく、トラウマと愛情不足という根本的原因に目を向け、一つの診断名にまとめることで治療を進めやすくなるのです。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で発達性トラウマ障害についてこう書かれている。
私たちは自らの発見を整理している内に、一貫した特徴を見いだした。(1)調節不全の普遍的パターン(2)注意と集中の問題(3)自分や他人と仲良くやっていくことの困難さだ。これらの子供たちの気分と感情は一方の極端からもう一方の極端(癇癪やパニックから無関心や生気のなさ、解離)へと急速に変化した
また、具体的な症状については
睡眠障害や頭痛、原因不明の痛み、接触や音に対する過敏といった、身体的問題につながる。興奮しすぎたり、機能停止に陥ったりすると、注意力や集中力を維持できなくなる。彼らは緊張を解くために、自慰や、体を揺り動かすこと、自傷行為(自分の体に噛みついたり、切り傷ややけどを負わせたり、自分をたたいたり、髪を引き抜いたり、血が出るまで皮膚を引っ掻いたり剥がしたりすること)に慢性的に耽る。言語の処理や細かい動作も困難になる。自制心を保つために精力をすべてつぎ込むので、生存に直接関係のない学業のようなことには注意を払うのにたいてい苦労するし、過覚醒のせいで簡単に気が散ってしまう。
過去に辛い体験をした人は、そのトラウマと向き合うことを恐れ、心の奥底に追いやってしまいます。
しかし、それではトラウマの克服は難しいでしょう。
根本的解決を目指すなら、今まで向き合うことを避けてきた、トラウマに目を向けるしかありません。
トラウマと向き合うことで、目の前の道がようやく開けてくるのです。
治療に必要なのは、トラウマから逃げることではなく、適切にトラウマに向き合うことです。
暴露療法のような、間違ったトラウマ治療法を行ってしまうと逆効果になってしまう危険性があります。
トラウマはとても繊細で、慎重に扱わなければいけません。
安全なトラウマ克服方法は別に記事に書いているので参考にしてください。
発達性トラウマ障害とADHDの関係
先ほども書きましたが、発達性トラウマ障害には注意と集中の問題があります。
これは注意欠陥・多動性障害(ADHD)の症状と酷似しています。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でトラウマを負った人の特徴はADHDの特徴と似ていることが書かれています。
レクリエーションのリーダーの役割を果たしている内に、他にも気づいたことがある。患者たちは総じてはなはだ不器用で、動きがぎくしゃくしていた。キャンプに行くと、私がテントを張っている間、彼らのほとんどがどうしていいか分からず、脇に立っていた。チャールズ川では一度、突風に見舞われてヨットが横転しかけた。位置を変えてヨットのバランスをとる必要があることを理解できず、身を固くして帆の陰に寄り集まっていたからだ。バレーボールをすると、患者よりスタッフの方がきまって身のこなしが良かった。他の共通点は彼らにとって精一杯くつろいだ会話であっても堅苦しいく、友人同士なら当たり前の自然な仕草や表情が見られなかった。
事実、虐待やいじめを経験している人は、その後ADHDと診断されることが多いようです。
発達性トラウマ障害もADHDも症状が似ているので、生きにくさを感じることは同じかもしれません。
しかし、発達性トラウマ障害とADHDには大きな違いがあります。
ADHDは先天的な脳の発達障害であるのに対し、発達性トラウマ障害は成長過程の逆境的体験により、脳の発達が妨げられる障害なのです。
障害の原因は異なりますが、2つは複雑に絡み合っており、ADHDだから虐待やいじめ、ネグレクトの犠牲になる可能性は上がり、そのせいで、より症状が重くなることも考えられます。。
私も20歳を超えてからADHDと診断されましたが、元々発達障害があったのか、過去のトラウマにより発達障害に似た症状になったのか、それとも両方とも関係しているのか、今となっては知る術がありません。
しかし、どちらにせよ問題はうつ病などの二次障害を解決することにあります。
障害を持っていても自分らしく生きることはできますが、障害のせいで精神疾患を患ってしまうと日常生活に支障が出てしまうのです。
私たちは、人生を楽しく生きるために自分自身と向き合わなければいけません。
日本では発達性トラウマ障害は認知が低く、診断されることはまずないでしょう。
しかし、自分自身で過去のトラウマと向き合い、癒していくことは可能なはずです。
発達性トラウマ障害の克服法
「身体はラウマを記録する」の著者であるヴェッセル・ヴァン・デア・コークは途方に暮れる私たちトラウマサイバーに1つの大きなヒントを与えてくれました。
まず大切なことは現在の精神疾患の診断は根底にある原因を完全に無視した表面的なものであるということです。
重要なことは、私たちがなぜ現在の状況に陥ってしまったのか、育った環境やこれまでの人間関係など病気になるまでの過程にあるのです。
だから、まずどのようにして今の自分に成ったのかをまとめる必要があります。
過去に過酷な経験をした人ほどその記憶に蓋をして、記憶から消し去ってしまっている可能性があるのです。
しかし、いくら記憶から消し去っても身体は覚えています。
トラウマを克服するためには、心の中に安全基地を確保し、他者に対する脅威や自分自身の無力感を克服しなければいけません。
そのためにも、まず自分の中に病気の原因となったと思われる出来事のかけらを集めて、一つの大きな地図を作成するのです。
そして、その地図を少しずつ書き換えていく必要があります。
書き換える方法は新たに自分にとって好ましい経験や体験を積み重ねるしかありません。
人間の脳はありがたいことに柔軟であり、可塑性があることが分かっています。
古いコードから新しいコードに上書きすることは可能ということです。
トラウマを負った人は過去が圧倒的支配力を持っています。
今が過去を上回った時、身体に変化が起きるでしょう。
社会全体での取り組みが大切
毎年のように虐待やいじめのニュースを目にします。
ニュースになるということは、手遅れだったという場合が多いということ。
私は幼い命が犠牲になったニュースを見ていつも思う事があるります。
命が奪われるということはとても痛ましいですが、もしこの子たちが死なずに生き残ったとしても、その後の人生は地獄のようなものになってしまうのではないでしょうか。
虐待やいじめが、その後の人生に与える影響は想像を絶するものがあるります。
命が消えてしまうことはもちろん悲惨ですが、生き延びたとしても悲惨な道が待っていることを忘れてはいけません。
むしろ悲惨な出来事が終わってからが、後遺症との戦いのスタートです。
しかし、今もなお、ニュースにならないような虐待やいじめが数多く行われているのは間違いありません。
社会全体で、この問題に取り組まなければ、問題の根本的解決は難しいでしょう。
まとめ
今回は幼少期のトラウマと愛情の不足による起こる発達性トラウマ障害について考察してみた。
この馴染みのない診断が今後、日本に普及することで、上辺だけの治療から根本的解決に向けた治療に変わっていくことを期待しています。
そして、社会全体で子供たちが発達性トラウマ障害にならないようなシステムを作っていけるような動きが加速して欲しいです。
生まれたときは、誰もが無限の可能性と将来性を持っているはず。
そのような人たちが、大人になり家の中に引きこもったり、自ら命を絶つことは本来あってはいけないことなのです。
私たちが知りたいことは診断名ではありません。
どうしたら社会の一員として、他者と協力し、誰かの役に立ち、前向きに、自分らしく生きる事ができる方法を教えて欲しいのです。
発達性トラウマ障害という概念はそのヒントを教えてくれたと感じています。