ブッタという言葉を聞いて、どのような印象を感じますか?
宗教に興味がない方は、仏教と聞くと宗教色が強い印象や、怪しいスピリチュアル的なイメージを持たれるかもしれません。
しかし、ブッタの教えは非常にシンプルかつ合理的。
複雑に入り組んだ、生きにくい現代社会だからこそ、広く知られるべき内容だと思います。
今回はブッタの教えを、わかりやすく、簡単に解説します。
・仕事や家庭の人間関係がうまくいかない方
・何となく生きづらさを抱えている方
・いつも他人に振り回されてしまう方
・心や体に不安を抱えている方
・苦しみから解放され、安らかに生活したい方
このような方におすすめの内容になっています。
参考書籍
今回参考にした書籍は「ブッタの言葉」「心理の言葉」です。
これらは、ブッタの教えを集めた、古典的な名著となります。
難しい表現はなく、誰もが理解できる言葉で表現されているため、とても読みやすい書籍です。
ブッタ(釈迦)や仏教について深く知りたい方は1度チェックしてみてください。
苦しいのは当たり前
ブッタはまず「生きることは本質的に苦である」と説きました。
これは苦諦(くたい)という言葉で表現されており、人生は自分の思い通りにならないという、お釈迦様からのメッセージです。
なぜ、生きることは苦しいことなのでしょうか?
それは、私たちには、どうしても避けることができない苦しさが存在しているからです。
生まれること
老いること
病むこと
死ぬこと
これらは四苦と表現され、この世に生をうけたすべての人が、経験する苦しみです。
生まれる環境は選べず、年をとることで体が弱り、病気にむしばまれ、最終的に死ぬ。
これは自分の力では、どうすることもできない苦しみです。
さらにブッタは、より具体的な苦しみとして
心身を思うようにコントロールできない苦しみ(五蘊盛苦 ごうんじょうく)
愛する人といつか別れなければいけない苦しみ(愛別離苦 あいべつりく)
嫌いな人や苦手な人に会わなければいけない苦しみ(怨憎会苦 おんぞうえく)
お金や物、地位、名誉など求めるものが手に入らない苦しみ(求不得苦 ぐふとっく)
今苦しみを感じている方も、この中のどれかに当てはまるのではないでしょうか。
これらの苦しみは、「四苦八苦」ということわざの語源にもなっています。
人間の苦しみの根源は、今も大昔も変わらないのです。
苦しみの原因
ではブッタは「人生は苦しいのが当たり前だから、あきらめろと」ということを教えたいのでしょうか。
もちろん、そうではありません。
ブッタは苦しみから解放される方法を、わかりやすく教えてくれています。
その教えは何千年という時を超え、現代にこそ必要な知恵なのです。
苦しみを開放するにあたり、いくつか知っておかなければいけない教えがあります。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
諸行無常とは、世の中のものは全て、絶えず変わり続けるという意味です。
人間、自然、物など例外なく同じ状態のものはありません。
一見すると変化していないような大きな山や岩でさえ、人間が気づかないだけで、絶えず変化しています。
お互い相思相愛な人間関係も、それが永遠に続くなんてことはありえません。
今は十分な富や名誉、他人からの愛情などがあったとしても、それをずっと持ち続けることはできないのです。
しかし、私たち人間は、自分にとって都合の良いことだけ「変わらない」と思い込みます。
そこに執着が生まれるのです。
この執着が苦しみの原因になっていることは間違いありません。
まずは諸行無常を理解して、変化を受け入れることが大切です。
諸行無我(しょぎょうむが)
諸行無我とは、すべてのものごとはお互いに影響し合って存在している、という意味です。
単独で存在できるものは何一つありません。
今日何気なく食べた朝ご飯も、あなたの口に入るまでに様々な人、物が複雑に絡み合っています。
その一つ一つを紐解いていくと、まさに奇跡と呼ぶしかないような、偶然が重なり合っていることに気づくはずです。
人間もまた、1人では存在することがせきません。
自分を認識してくれる誰かがいるからこそ、存在できるのです。
もし、この世に1人だけしかいなかったら、自分という存在を確かめることはできません。
自分の子どもや財産はもちろんのこと、自分自身ですら自分のものではないのです。
自然環境が絶妙な関係で成り立っているように、人間社会も絶妙なバランスによって成り立っています。
このことを理解すれば、すべては完璧なタイミングで起きていることに気づくはずです。
そうすれば、自然と周りへの感謝の気持ちがわいてくることでしょう。
煩悩(ぼんのう)
ブッタは、苦しみの原因を煩悩だと解いています。
煩悩とは、執着やプライド、誇り、欲望などを表します。
煩悩が強いと、自分の思い通りにいかなかったときに、自分以外に原因を求め、怒りや不満をおぼえてしまいます。
しかし、ブッタはこのような怒りや不満は、自分の煩悩が生み出していると考えます。
さとりの境地に達するためには煩悩を消し去り、苦しみ解放する必要があります。
煩悩がなくなれば、安らかな心を持って生きることができるのです。
苦しみを解放する方法
ブッタは悟りを開くためのプロセスを簡単にまとめています。
- 苦諦(くたい)ー生きることは思い通りにならないことを理解して、苦しみに向き合う
- 集諦(じったい)ー苦しみの原因は、物事に執着するなどの煩悩にあると理解する
- 滅諦(めったい)ー煩悩を消し去り、苦しみを解放することでさとりの境地に達する
- 道諦(どうたい)ーさとりに達するための修行の道(八正道)を実践する
さとりに達するための修行の道(八正道)、とはどのようなものなのでしょうか。
①正見(しょうけん)ー正しいものの見方、考え方
②正思唯(しょうしゆい)ー怒りや憎しみにとらわれず、正しい判断をすること
③正語(しょうご)ー嘘や悪口を言わず、正しい言葉を使う
④正業(しょおうごう)ー殺生や盗みなどをせず、正しく生きる
⑤正命(しょうみょう)ー行儀良く、規則正しい生活
⑥正精進(しょうしょうじん)ー善いことに向かって、正しく努力する
⑦正念(しょうねん)ー正しい意識、思い
⑧正定(しょうじょう)ー正しい瞑想
ブッタはこれらの修行に取り組めば、一切の苦しみから解放されるとしました。
注意すべき点は「正しい」という言葉がすべてに使われていることです。
これは自分にとっての正しさや、ひとりよがりの正しさではありません。
客観的、合理的、偏りがない正しさのことを意味します。
この偏りがない正しさのことを、中道といいます。
中道とは一方に偏りすぎて、もう一方を疎かにしないという仏教の大事な精神です。
極端に快楽を求めたり、極端に苦行に走ったりすることは、人間にとって真の利益にならないということ。
快楽や苦しみといった両極端に執着することなく、中道を意識すれば、安らかに生活を送ることができるのです。
そして、本当の正しさとは、その時、その場所によって変わるので、その都度考える必要があります。
いきなり全ての修行を実践するのは難しいかもしれませんが、これらの教えを意識するだけで、苦しみから少し解放されるかもしれません。
まとめ
ブッタの教えをまとめると
・生きるということは、苦しくて、思い通りにならないもの
・苦しみの原因は煩悩で、諸行無常、諸行無我を意識して、執着を捨てる
・執着をすてれば、苦しみから解放され、さとりに到達できる
・そのために修行を怠らない。
ブッタの教えは非常にシンプルで、私たちの生活にも取入れやすいのが特徴です。
ブッタのような本当のさとりに到達するのは難しいかもしれません。
しかし、生きにくさを感じている人の苦しさを開放し、気持ちを楽にしてくれることは確かなのです。